『Ryu-my Cafe ストーリー④』 My Early Thirties
第3話
『外へ外へと発信し続けた日々 ー30代前半ー 』
31才 乗りに乗って仕事をしていた私。
さらにお客様の心に寄り添えるサロンを目指し「オーラソーマカラーセラピー」を学ぶ。
レベルⅢ 修得。
プライベートでは、事実婚(夫婦別姓)を貫き、婚外子にて第一子長男出産。
*(余談)
事実婚で出産した方に出会ったのは今までの人生でたった一人だけ。
出会った瞬間から彼女は、大切な親友の大切な一人。
私は、子供の頃から結婚に、夢や憧れを抱いていなかった。
私にとって、苗字が変わることは、自分が自分でなくなる気がして
「入籍」はあり得なかった。
親を含め、周囲の方々には、理解不能だったと思うが、自分の気持ちに正直に生きたかった。
この頃から世の中のいろいろな仕組みに疑問を抱くようになる。
そんな時、自然療法「ホメオパシー」と出会う。
日本の第一人者である由井寅子先生のセミナーを受講した時に、ものすごい衝撃を受ける。
私も由井先生のようになりたい!!
(誰かに憧れたのは初めての経験)
そして、この時から、薬や予防接種に頼らない生活を始める。
34才 婚外子にて、第二子 次男出産。
更に、自然に生きることにフォーカスし始める。
次男出産8ヶ月目、当時由井先生が学長務めていた4年制のホメオパシー学校 「ロイヤルアカデミーオブホメオパシー(RAH)」へ入学。
心と身体と魂の繋がり、自然治癒力と免疫システム、真の医学とは何かを学ぶ。
そして、メディアが伝えている情報のすべてが真実ではないことを理解する。
情報を鵜呑みにせず、自分で調べ、自分で答えを出す。
そして何よりも自分の感覚を大切にして生きることの大切さを知る。
とても新鮮な感覚だった。
35才 入学して1年目、イギリス・ロンドン大学でのスクーリングに参加。
海外で自分の好きな勉強ができることがとても嬉しくて充実していた。
1才を過ぎたばかりの次男は、私が海外滞在中に、二足歩行を始めた。
息子の初めの一歩を見られなかったのは残念だったが、自分の夢も捨てられなかったから仕方がない。
幼い息子たちを預けながら、朝から夜遅くまで仕事をして、週末は東京の学校に通って・・・の4年間。とても忙しかったけれど、学生の時よりも真剣に勉強をした。
たくさんの方々の協力なしには、あり得ない4年間だった。
一番良かったことは、全国にマニアックな友人ができたこと。
そして、ホメオパシーに出会えたおかげで、2人の息子たちは薬に頼らず、自然免疫を自分自身で身につけて、元気に成長した。
長男は1才から、次男は生まれてから現在に至るまで、一度も予防接種を受けた事がなく、薬も一切飲んだことがない。
そして35才。
会社設立10年目。
「自然に生きる」ことを掘り下げていった結果、美容以外のことにも活動の場を広げるようになる。
ガイアシンフォニープロジェクトを立ち上げ代表となる。
ガイア理論に基づき、自然と調和した生き方、自然環境の大切さを伝える自主上映映画
「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の第一番〜第5番までを全5回、主催する。
※ガイア理論とは
地球上において、大気や地殻などの自然環境と、動植物などの生物が相互に影響し合うことで、地球という惑星が一つの大きな生命体のように活動していると見なす理論。
映画の上映とコラボした企画「民族打楽器Live」や地元の子供たちを募って作った舞台「未来へ繋ぐ音のバトン」も同時に主催。
その後、親友たちと共に、未来創造プロジェクト「motherhood」を立ち上げ代表となる。
「子供たちの為に、今私たちができることは!?」と問いながら、環境問題を取り上げたセミナー「ハッピーエコライフ」や「マクロビオティック料理教室」「子育てセミナー」などを主催する。
(両プロジェクトのイベント、セミナー動員数は1000人を超える。)
仕事をしながら、子供を育てながら、学校へ通いながらの生活は、体力と精神力を限界まで使い半端なくハードな毎日だった。でも「まだまだ、行ける!!」と思って突き進んでいた、30代前半の私。
to be continued... >>> 『Ryu-my Cafe ストーリー5』- my late thirties