『Ryu-my Cafe ストーリー7』- an unexpected journey

『Ryu-my Cafe ストーリー⑦』 An Unexpected Journey

.

第6話『まさかのカフェオープン』

 

戸隠神社へ行く道すがら聞いた「カフェやりなよ」の声。

信じられなかった。

 

その日、戸隠のキャンプ場にテントを張って息子たちと宿泊。

「ママ、トイレ行きたい」夜中、次男(当時5才)の声で目が覚めた。

息子が先にテントから出て、すぐに大きな声で叫んだ。

「ママ!!凄いよ!!月に虹が架かってるー!!」

 

「何!?」

すぐに私も外へ出て、空を見上げた。

 

うわっ!!

なんじゃこりゃ、すごい!!!

 

初めて見た月光冠。とても美しかった。

 

すぐにテントに戻って、一眼レフで写真を撮った。

そして、この月光冠を見た時に直感で決断した。

 

「わかりました!!私、カフェやります!!」

「きっと私がカフェを始めることで私の為にも、周りの人の為にもなるってことなんですよね!?」

 

月と会話したのか!?なんなのか!?

とにかく「カフェをやります!!」と約束をした。

 

お金も時間も経験もないのに「やる!」と決めてしまった。

 

翌日、テントを片付けて家へ帰る車の中で

「さて、どんなカフェにしようか!?」

「どのくらいお金を借り入れる!?」

「場所は!?立地は!?

「何のメニューがいい!?」などなど、頭の中でプランニングが始まった。

 

マクロビオティックの先生をお招きしての料理教室は過去に何度も主催していたので、

「やはり、カフェをやるならマクロビオティックの料理がいいよなぁ。」と思った。

 

よし!!決めた。思い立ったら吉日。

 

自宅に着いて速攻で、マクロビオティックの料理学校

「リマクッキングスクール」に連絡して入校の手続きをした。

 

決して安くない学費。私は、残っていた微々たる預金をすべて注ぎ込んだ。

もう、空っぽだ。

 

借入金の残高数千万円。預金残高なし。

 

何がここまで私を駆り立てたのか!?不思議でならない。

だって、昨日までカフェをやるなんて、たったの1%も思ってなかったのに。

 

2010年40才。秋の出来事だった。

 

そして、予定通り3ヶ月後の2011年1月から新宿のリマクッキングスクールへ通い始めた。

 

カフェオープンの目標は、1年3ヶ月後の2012年4月。

まさか私が料理学校に通うなんて、想像もしてなかった。とにかく、魂の衝動に身を任せた。

 

学校は、楽しかった。ホメオパシー学校に通っていた時のように、全国からマクロビオティックを学びに来ている方々と少しずつ親しくなっていった。

宮城県の七里ヶ浜から通っている、とても素敵で爽やかなサーファーの友人もできた。

1月、2月と学校に通い、そして迎えるはずだった3月。

あの大震災が起きた。3.11だ。

 

本当だったら、料理学校だったはずのあの日。

授業後は、学校の友人たちと自然食のカフェで、ディナーを食べる予定だったあの日。

大震災が起きてしまった。

 

あの日の夜、一緒にディナーを食べるはずだった七里ヶ浜の友人の家は、津波で流されてしまった。

 

数日後、友人と連絡がとれて家族全員の無事を知ったがなんとも言えない気持ちになった。

(その彼女が、カフェオープン時のドリンクメニュー表を作成してくれたんだ)

 

1年後のカフェオープンを目標にしていたが、原発の放射能のことを考えるとマクロビオティックの料理を出すカフェは、もう無理だと思った。 

 

その他にも震災を機に、スタッフの事情やさらなる困窮生活。会社経営の悪化。いろいろな苦しい出来事が重なり、カフェの規模を縮小してオープンするしかないと決断。

 

あきらめるという選択肢はなかった。

20才の時に「もう絶対に逃げない!!」と決めていたから。

 

オープンまでの1年間の準備期間でリマクッキングスクールの上級コースまでを修得した。

そして、師範科の前半まで通った。

 

せっかく師範科まで学んで来たけど自分一人で、料理とスイーツの両方はできる気がしない。どちらか選ぶとしたら!?私の心は「スイーツ」を選択した。

 

仕事バリバリの人生だったから、ケーキなんて作る時間はなかった。でも、子供の頃はクッキー作りが大好きだった。(ということを遠い記憶の中から思い出した)

 

料理を作るより、お菓子を作る方が好きかも。

それだけの理由で「スイーツとお茶のお店」というRyu-my Cafeの営業スタイルが決まった。

 

そして、少しずつ準備を重ね、震災から1年後の4月25日。

目標にしていた通りRyu-my Cafeをオープンした。今から9年前の春のこと。

 

リーマンショック

ホメオパシーバッシング

そして、3.11。

常に人前に立ち、マイクを持って自分の思いを伝え続けた、エネルギッシュで華やかな20代、30代とは一転。耐え続け、堪え続けた苦しい修行のような40代の始まりだった。

 

でもね。あの時、カフェを始めなかったら皆さまとの出会いもなかったんだよね。

人生って本当に不思議。

 

― カフェオープン前のわたし編 完結 ー

 

 

to be continued... >>> 『Ryu-my Cafe ストーリー8』- cafe opened, having a rough time