『Ryu-my Cafe ストーリー8』- cafe opened, having a rough time

『Ryu-my Cafe ストーリー⑧』 Cafe Opened, Having a Rough Time

第7話『カフェオープンと苦悩の毎日』

 

9年前の2012年4月25日にRyu-my Cafeはオープンした。

 

前もってコーヒーの淹れ方とか練習するはずだったのに、工事がギリギリになってしまい、一度もコーヒーを入れる練習ができないままオープンした。

カフェでゆっくりお茶したことがなく、自分でコーヒーを淹れたこともない。

 

『カフェやりなよ!』の声に導かれて自分の直感を信じて「やる!!」と決めてオープンしたカフェ。

 

マクロビオティック料理教室の師範科の途中までは通ってみたけれど、料理教室なのでケーキは教わっていない。パティシエの学校に行ったこともないし、ケーキ屋さんで働いたこともない。

 

少しだけお菓子教室に通ってみたけれど、基本のお菓子を作るだけで、デコレーションの技術を教わったわけではない。小学生の頃、時々クッキーを作っていたくらいの経験値。

 

準備期間の中で、本を見たりしながらいろいろな試作はしたけれど、自分の作ったケーキに値段をつけて販売するなんて。正直、とても怖かった。

 

そして、何よりもカフェを始めて一番戸惑ったのはお客様との距離感。それまで私は、初対面でも100%オープンな心でお客様と接するのが当たり前だったから。

 

カフェ以前の仕事は、常に完全予約制。お客様は、私に会うことを目的に、ご来店くださっていた。

取引先やイベントのミーティング、カウンセリングや健康相談。自分が心をオープンにしないと始まらない仕事。

 

それをすでに、20年やっていたので、オープンマインドが染み付きすぎていて、お客様との距離感がわからなかった。私に会いに来るのでもなく、何かを相談しに来るのでもない。

 

お茶をする為だけに、お客様はご来店される。カフェなんだから、それが当たり前なんだけど、オープンマインドではない接し方が本当にわからなかった。

カフェでの私の存在理由は、店員さん。ただの店員さん。

 

…ただの店員さんでいるって、どうしたらいいんだ!?本当に苦悩の連続だった。

 

オープン当初、長男は10才で次男は7才。

朝から夜まで、毎日14時間連続で働き続けた。その間、ご飯を食べる時間もなくほっとひと息つける休憩もない。ずっと立ちっぱなしの14時間。休みは、週に1日。

 

夜遅く自宅に戻る時には、息子たちはいつも2人でピッタリとくっついて寝ていた。

その寝顔から、どれだけのパワーをもらっただろう。

 

夏休みなど学校がお休みの時は、さらにやる事が増える。お昼ご飯を作る時間もなくて「お腹空いたー!!」と2階の自宅から降りてくる息子たち。

カフェの工房で素麺を茹でるのが精一杯。その素麺を立って食べさせた日もある。

 

学校行事には、ほとんど行けなかった。

 

カフェを始めた年、次男は小学2年生。

授業参観で「おいも祭り」があるらしく、前日の夜、お祭りのチケットをくれた。

「ママはこられないのしってるよ。」と言いながら、手渡されたチケットは、手作りの小さい封筒の中に入っていた。

 

封筒の表紙には「おいもまつり」と色鉛筆で書かれていた。そして中を見たら、いろんな屋台の手作りチケットが入っていて、ハートやお星さまの絵が描かれ、ピンクや黄色で塗られていた。

私が行けないのを知っていながら一生懸命作ってくれたお祭りのチケット。どんな気持ちだったのだろう。なんとも言えない想いが溢れてきて泣きたくなった。

長男は、学校行事のプリントを一切見せなくなった。

週末のサッカー練習に、お弁当が必要な事も言わなかった。私は忙し過ぎて、それさえも気づけなかった。

後から知り、とても落ち込んだ。そんなエピソードがいっぱいの長い長い修行の9年間。

 

そうそう、初めて満席になったのは、オープンから半年後のこと。

それまでは、お客様が一人も来ない日もあった。それでも私は、あの日に聞こえて来た声を信じて、黙々と淡々とじっとやり続けた。いつか満席になる日を信じていた。

 

ある日、洗い物をしながらふとお客様の席を振り返ると、たくさんのお客様が楽しそうに笑いながら話をしていた。

 

ずっと思い描いていた夢。カフェが満席になって、みんなが笑っている風景。食器を洗いながら、涙を堪えるのに必至だった。

 

カフェのお客様が少しずつ増えいく一方で、会社経営は、どんどん悲惨な状況に追い込まれていった。常に現金が足りなくて、返済に追われた。

長い年月、共に働いて来た大切な仲間たちへのお給料も、まともに支払えなくなってしまった。そして、関係は崩壊した。社長としての私の器量がなかったのが原因だ。

 

もうこれ以上頑張れないほど、頑張って仕事をしていたけど、どうにもならなかった。

 

この場所を手放してしまえば、楽になるのかな!?でも、諦めたくなかった。

だから、何があっても毎日ケーキを作り、カフェを続けるしかなかった。

 

過去の人生を振り返りながら、自分の内側をずっと見続けた日々。上手くやれなかった自分に、重い鎖をつけて罪を償わなければならなかった。償わなければならないと思っていた。

カフェを始めてからの5年間は、こんな感じで過ぎて行ったんだ。

 

 

to be continued... >>> 『Ryu-my Cafe ストーリー9』- my freedom beyond those experiences